よくできた「大人」

リリース前の為、全てが私の妄想です。
ボイスドラマは#15時点で書いてます。

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 前後左右のどこを見渡しても、まともなものが何一つ視界に入らない。スターレスの店内は文字通りのボロボロだった。
 ステージは勿論、椅子も、机も、装飾品も。
 歩くだけで服に舞い落ちる埃を手で払いつつ、床に転がっている何かの残骸達を蹴飛ばしながら、その足は迷うことなく進んでいく。
 ステージから少し離れたそのスペースに足を踏み入れると、比較的荒らされていないことがわかり自然と安堵の息が漏れた。こんなにも荒れ果てていても、この厨房は蓮にとっての大切な場所に変わりはなかった。
 扉の付いていない棚に陳列されていたであろう調味料や調理器具がステンレスの調理台の上に散乱している中、蓮は手の甲で払うようにその山の一角を崩す。下から現れたのは、何丁かの包丁が刺さっている包丁差しだった。
 そっと一丁手に取り、刃を光に翳してみる。
 どうやら傷は付いていないようだった。

「…よかった」
「何が、よかったの?」

 不意に溢れた言葉に返事が来るとは思っていなかった。
 聞き慣れない声の聞こえた方角へと視線を動かすと、ホール側からデシャップに両腕を置いてこちらを覗いている見慣れない男がそこにいた。

「誰だ?」
「突然声をかけてごめん。俺は鷹見。あ、ここに入ることは黒曜から許可を貰っているよ」
「鷹見?知らない名前だな」
「えっと、多分害はないから、その包丁下ろしてもらえると助かるかな?」

 一瞬ここを襲ったチンピラが再びやってきたのかと思案したが、黒曜の名前も出た上、この男からはそういった野蛮な空気を感じなかった。
 包丁を握っていたのは偶然だったが、これで人をどうこうしようと考えたことはない。言われた通り包丁を下ろし、当初の予定通りこの包丁達を持ち帰る為の袋を取り出した。

「で?鷹見さん、俺に何か用?新しい店のスタッフか何か?」

 包丁の刃の部分に持参しておいたタオルを巻きつけながら声を掛ける。

「うん、実は俺、三樹さんの知り合いで、パフォーマー志望なんだよね。まだケイって人には会えてないから、まぁ、まだわからないけど」
「三樹さんの…?」
「あ、ごめん、居場所は知らないんだ」

 紅の口からあからさまな溜息が漏れた。

「ケイなら新店舗に行くはずだから、こっちには来ないよ」
「ああ、いや、こっちに来たのは、一度中を見ておきたくて。もう見れなくなるだろ?そしたら君がいたから」

 この店に関わる人物にしては珍しい、落ち着いた大人だった。
 言葉に嫌味がなく、挑発もない。普通の大人だ。
 ただ何故か、どこか、どうして、…胡散臭い。

「……あの、もしかして、不審がられてる…?」
「まぁ、そうね」
「困ったなぁ。名前も教えてもらえない?」

 そういえばまだ名乗っていなかったことに今気がついた。少なくとも彼は適切な礼を尽くしてくれたわけだから、蓮もそれを返すべきだということは理解している。
 一度作業の手を止め、恐らくこの時初めて、鷹見の紅い瞳を見た。

「蓮。スターレスでは、キッチンを任せてもらっているよ」

 ―眼を真っ直ぐに見返してくる人は苦手だ。
 今すぐに視線を逸らしてしまいたい衝動を抑え、その紅い瞳に吸い込まれそうになりながら、蓮は精一杯の虚勢を張って柔らかく笑って見せた。

「…いい名前だね」
「無事パフォーマーになった暁には、嫌いな食べ物をレポート用紙で提出してよ」
「それが伝統なの?」
「いや?そんな面倒な伝統お断りだね」
「…もしかして俺は、嫌われてしまったのかな?」