昏く深い、濃紺色の空一面に散りばめられた星々が、なんだか無性に綺麗だと思った。
海都からの景色も、森の空気も、商人たちの呼び声も、冒険者にとっては全てが新鮮で美しいものであったが、今この瞬間の星空が、ここ数日で見た何よりも深く彼の目を惹きつけた。
砂の混じった風が肌に触れる。
運ばれてきた潮の匂いに引き寄せられるように海へと近づいていくと、水面に映った月が波に揺れていた。
ベスパーベイには何度か訪れてはいたが、こんなにも静かな夜は初めてかもしれない。
夜空を仰ぎ、瞼を閉じる。
ゆったりとした波の音と、潮風。
心地好い風を受けながら深く息を吸い込んだところで、背後でカチャリと、ドアの開く音がした。
「――お帰りに、なられていたんですね」
ドアの音に耳を澄ましていなければ、波の音にかき消されてしまっていただろうと思いながら、冒険者はその落ち着いた声の主に薄く笑みを返して頷いた。
「盟主たちの演説を聞いてきたよ」
今日の出来事を思い返しながら、冒険者は海の彼方の地平線へと視線を寄せた。
「カルテノー戦没者追悼式典、ですか」
「うん、それ」
「いかがでしたか」
石レンガの建物からゆるりと足を踏み出した長身の男性エレゼンの瞳は、海を眺める冒険者の背中へと向いている。――しかしその瞳は色のついたゴーグルに覆われていて、付き合いの短い人間が感情を読み取るのは難しそうだ。
ゴーグルの下にある視線に気付いているのかどうなのか、冒険者は「んー」と声にもならない音と息を漏らし、片手を首の裏へと添えて首を回した。
そしておもむろに振り返ると、小さく両手を広げて笑って見せた。
「なにかあたたかい飲み物でも、飲みたい気分かな」
淡い月の光に照らされた冒険者の微笑みが、男にはなぜかとても儚く思えた。
ゴーグルの中で一度瞼を降ろし、ゆっくりと開く。
「では、僭越ながら」
言って、男は背中にあるドアを広く開け放った。
「私が一杯、お淹れしたく」
うやうやしく一礼を贈り、体を起こした際の男の口角がほんの僅かに上がっていたこと。そしてそれに気付けたこと。
これらに立ち会えたことは、昏き星の海に揺蕩う幾千幾万の星々の中にある、たった一つの小さな輝きの変化を見つけられたかのような心地だった。
遙か彼方で煌めく白い月を見上げ、冒険者は目に映るすべての空に祈った。今夜のことを、決して忘れてしまわないように。
そしてすぐに顔を上げ、男の待つドアの前へと足を向ける。
「ありがとう。うれしいよ、すごく、本当にね」
冒険者から贈られた言葉の全てを、男はどんな表情で受け止めていたのだろうか。
男の後ろについて階段を下りながら、次からは彼の前を歩いてみることにしようと、冒険者はひっそりと、心の奥で決めていた。