レンの眠る船室の扉から立入禁止の木札が取り払われた日の晩のこと。ゾロは灯りの消えたその部屋の扉をそっと開いた。
僅かに軋む木の床も極力鳴らさないよう動いたが、見下ろしたベッドの上にはゾロを見上げる二つの瞳があった。
「悪ぃ、起こしたか」
「平気。さっき起きたとこ」
静かに言葉を返すその声に覇気はなく、恐らくそれは夜のせいではないのだろう。
全身を包帯で巻かれたレンの体がベッドの端へとゆっくりと動く。そんな動作すら今のレンの体には響くようで、ゾロは咄嗟に、おい動くなと声を掛けたが、それで止まるようならレンの体の傷は今よりもっと少なかっただろう。
「お前は絶対安静だから絶対に動かすなとチョッパーに言われた」
「私も、大人しく寝てろって言われた」
笑いながら言うレンの隣には小さなスペースが出来ていた。
ゾロは短く息を吐いてから刀をベッドへと立て掛け、レンの空けた狭いスペースへと腰を降ろした。ぎしりとマットレスが軋み、沈む。
枕に頭を乗せたままのレンの方を向くと、それほど長い時間離れていたわけでもないのに懐かしさを感じた。
「お前、そのまま寝てろ」
「え」
体を捻り、暗闇の中にあるレンの顔を見下ろした。顔に大きな傷こそないが疲労の色が濃い。
こいつのこんな顔は久しぶりに見た。
音のない暗い部屋の中でゾロはじっとレンを見つめ、薄く開いたままのレンの唇へと己の唇を重ねた。
触れるだけのつもりですぐに離れようとはしたものの、どうにも名残惜しさを消すことができない。
胸の下で組んでいた腕を解き掌をマットレスへと衝いた。沈む体と一緒に再びレンの唇に触れる。
冷えた唇。
温度を確かめるように何度もその唇を喰む。
片手の指先でレンの頬を撫ぜると擽ったそうに目を細めたのが見えて——体の奥からぞくりと熱が這うのを感じた。
掌でレンの首筋へと触れて、どくどくと脈打つ血流を感じながらちいさな口の中の舌を絡め取る。呼吸と水音が静かな部屋によく響いた。
「…………ずるい。ゾロばっかり好き勝手して」
ようやく解放した唇が最初に口にした言葉がそれだった。
「お前は絶対安静なんだろ。無駄に動くと傷に障る。医者の言うことは聞くもんだ」
「ゾロが言うの? それ」
「おれはいいんだよ。お前は駄目だ」
勝手だなぁ。
レンは呆れたようにそう言って笑った。
口の中に拡がる僅かな鉄の味に腹が立つ。
「——痛むか」
「平気」
「嘘つけ」
「ほんとだよ」
どうだかなと独り言のように呟いて、ゾロはベッドへと腰を降ろしたまま窓の外の月を見た。
「ねえゾロ。私、ちゃんと船番できたよ」
「ああ、助かった」
「ゾロが思ってるほど重傷じゃないよ」
「それは包帯が取れたら、確認する」
「何を?」
「本当に重傷じゃなかったかどうか」
再び振り向いたゾロはレンの首に巻かれた包帯へと掌を這わせて言う。
「傷痕が馬鹿みてぇに増えてたら」
「増えてたら……?」
「——覚悟しとけ」
指先を包帯の端へと引っ掛けたゾロの顔は、およそ身内に向けるものとは思えないような凶悪な笑みだった。
「今は大人しく寝てろ」
ぎしり。
ベッドから腰を上げドアへと向かう。
「ゾロ」
振り向くかどうか、少し迷った。
こっちはもう限界なんだ。そんな声で名前を呼ぶな。
よっぽどこのまま部屋を後にしたかったが、無視して扉を開けるのも気が引ける。
ゾロは一度深く息を吸い、ちらりと後ろを振り返った。
「お見舞い、ありがとね」
案の定の満面の笑みにゾロは思わず頭を掻き乱した。
「——ったく。お前その顔、絶対外では出すなよ」
「顔は変えられないよ」
「そういう事じゃねぇ」
レンは枕の上で首を捻り、立ち尽くすゾロをしばし見つめた。金色の耳飾りが揺れて月灯りがきらきらと反射している。
「ゾロが外でそういう顔しなければ大丈夫だよ」
「どういう顔だそりゃあ」
「えっちな顔」
「はあ?」
「知らなーい」
レンの言うことはわからないが、やけに機嫌がいいことだけはゾロにもわかった。もう一度聞き返そうかと口を開いたが規則的な寝息が耳に沁みて——ゾロは開いた口をそのまま閉じた。
名残惜しさが残る指先で刀の縁をなぞり、ゾロは今度こそ音もなく部屋を出た。